Vol.8 冬の八ヶ岳編
厳冬の八ヶ岳でアイスクライミング
日本各地のプロショップスタッフが、自らお勧めのフィールドを案内する「Backyard」。
第8弾となる今回は、北アルプスの玄関口、長野県松本市にある「カモシカスポーツ山の店・松本店」のお二人、福沢賢司さんと枝中祐太朗さんが真冬の八ヶ岳をナビゲートします。松本を中心に長野のフィールドに詳しい二人が目指すのは、八ヶ岳横岳西面の中腹に位置する大同心大滝。キリッと冷え込む厳冬期八ヶ岳らしいアイスクライミングをお送りします。
今回のナビゲーター
右が店長の福沢さん、左が副店長の枝中さん
福沢賢司(カモシカスポーツ山の店・松本店 店長)
ふくざわけんじ●1977年、長野県生まれ。南アルプスの玄関口で生まれ育ち、登山好きの父に連れられ小学生の頃から年間を通して(!)南アルプスに登っていたという生粋の山男。登山好きが高じて長野県警察山岳救助隊に3年間勤務した後に、現職に転職。夏はクライミングやファストハイク、冬はアイスクライミングやバックカントリースキーを楽しんでいる
枝中祐太朗(カモシカスポーツ山の店・松本店 副店長)
えだなかゆうたろう●1987年、福井県出身。学生時代に登山を始め、大手登山用品店に就職してクライミングと出会う。カモシカスポーツは2017年から。現在、アルパインクライミングを中心に、フリークライミング、ボルダリング、アイスクライミングと、年間を通してマルチなクライミングを実践している。クライマーとしての実力はカモシカスポーツ随一という噂
冬の八ヶ岳に何度も通うナビゲーターのお二人
カモシカスポーツは老舗の登山用品店として知られ、現在、高田馬場(東京)、横浜(神奈川)、松本(長野)と国内3カ所で店舗を展開。どの店も充実の品揃えを誇り、初心者からエキスパートまでの幅広いニーズに応えている。また、スタッフはもれなく全員が登山好きで、クライマー比率が高いことも特長的だ。
そんなカモシカスポーツのなかでも、北アルプスの玄関口に位置する松本店はもっともフィールドに近い店舗である。店からは左に乗鞍岳、右に北アルプス表銀座から後立山連峰が連なり、振り返ると、美ヶ原のたおやかな台地が一望のもと。各登山口までは1時間から1時間半とあって、登山の往き帰りに立ち寄る登山者も少なくない。
今回のナビゲーターは、この松本店の店長、福沢賢司さんと、副店長の枝中祐太朗さんのお二人。クライミング経験と実力では社内でも群を抜くというお二人の、最初の出会いはスイスのマッターホルンだったというから驚かされる。その後、枝中さんがカモシカスポーツに入社してからは、良きパートナーとして多くのクライミングをともにしてきた。
お二人がよく行く厳冬期のフィールドとアクティビティとしては、錫杖岳の冬季登攀や、長野県内各地でのアイスクライミング、福沢さんは乗鞍岳でのバックカントリースキーにも出かける。もちろん、北アルプスの冬山登山もそのなかに含まれるが、比較的日数がかさむルートが多いため、年末年始など長めの休暇が必要となる。その点、八ヶ岳や錫杖岳なら日帰りも可能で、仕事の合間の休日を使って楽しむには最適なフィールドということだ。
そんなお二人が今回選んでくれたのが、八ヶ岳でのアイスクライミング。多くの登山者に親しまれている八ヶ岳は、2,000mを超える標高帯と、非常に低温という内陸性気候も相まって、厳冬期には中腹付近に大小の氷瀑(滝が凍ったもの)が発達し、アイスクライミングの好フィールドとして人気を誇っている。そのなかで今回の狙いは、八ヶ岳アイスクライミングの登竜門ともいえる「大同心大滝」だ。
雪景色の針葉樹林を行く真冬の八ヶ岳らしいワンシーン
初日は美濃戸口から赤岳鉱泉を目指した
八ヶ岳はアルパインエリアを擁する本格的な山域ながら、冬山登山に挑戦しやすい条件が整っていることも魅力のひとつ。登山口からのアプローチも比較的短く、通年営業の(つまり真冬も開いている)山小屋も多く、厳冬期はテント泊がメインという北アルプスや南アルプスとは大きな違いがある。
今回は、そうした山小屋のひとつである赤岳鉱泉を利用する1泊2日のアイスクライミングである。登山口から赤岳鉱泉まではコースタイムで3時間前後。1日の行程としてはさすがに短いが、途中の撮影やロケハンが必要になるため、余裕を持たせた行程を計画した。
グリーンシーズンは、バスの終点でもある美濃戸口から、さらに林道を上った美濃戸までクルマで入れるが、積雪や凍結がある冬季は、美濃戸口の駐車場を利用するのが一般的。美濃戸口から先の林道は急勾配と狭いカーブが連続し、なおかつ除雪はされない。そのためスタッドレスタイヤの四駆でもスタックするクルマが続出する。ちなみに山小屋関係者は車高を上げた小型四駆で、前後のスタッドレスにチェーンという完全防備で入っていることもお伝えしたい。
朝の空気が清々しい美濃戸口からのアプローチ
美濃戸口から約1時間の歩きで美濃戸。そこから登山道は二手に分かれるが、赤岳鉱泉までは北沢ルートをたどる。堰堤広場を過ぎて橋を渡ると緩やかな登りになり、冬でも流れのある北沢を何度か渡りながら赤岳鉱泉を目指す。沢沿いから離れ、右手の森に入って巨大な人工氷瀑「アイスキャンディー」が見えてくれば、赤岳鉱泉に着いたも同然だ。
突如出現する人工氷瀑に、初めての人は目を奪われるに違いない
***アイスクライミング入門に最適
「赤岳鉱泉のアイスキャンディ」
八ヶ岳のアイスクライミングの拠点となる赤岳鉱泉に、冬季間だけ出現する人工氷瀑。ここで基本をマスターしてから氷瀑に向かうのに最適。ビギナーは、初心者体験会や人気の恒例イベント「アイスキャンディフェスティバル」の参加、あるいは山岳ガイドのツアーに申し込むのがお勧め。
営業期間:2024年12月下旬〜2025年3月30日
(氷のコンディションにより前後する可能性あり)
利用料金:1日券/1,000円
利用時間:8:30〜16:00
アイスアックス、クランポン、ヘルメット、冬山用登山靴のレンタルがあるが、ハーネスやロープ、ビレイデバイス、スリング、カラビナなど基本的なクライミングギアは利用者各自が用意する必要がある。
問合せ先:赤岳鉱泉
www.akadakekousen.jp
アイスアックスを振り上げ蒼氷に叩き込んだ
翌朝、冬用登山靴の靴ひもを締め、シェルのファスナーを首まで上げて外に出ると、快晴無風のコンディション。気温はマイナス15度前後と、放射冷却現象でキリッと冷え切った空気が肌を刺す。
突如出現する人工氷瀑に、初めての人は目を奪われるに違いない
赤岳鉱泉から大同心大滝はそう遠くはない。まずは硫黄岳方面へのルートをたどり、途中、夏道を外れて大同心ルンゼへ。一昨日の降雪から中一日をはさんだこの日は、先行者のトレースもなく、ラッセルは腿腰サイズ。それでも、すっかりドライアウトした乾雪はどこまでも軽く、滝の氷結具合に期待がふくらんだ。
すでに標高2,300mを超え、背後に南アルプスから北アルプス方面の景観が広がっている
ルンゼが斜度を増していき、やや前方の視界が開けると、前方に蒼白く光る氷瀑が姿を現した。高度差50mを2段に落とす大同心大滝である。
基部から見上げた大同心大滝
「今年は雪が多いようですね。下部が積雪に埋まっています。雪の少ない時期だと下部にもう1段あって、もう少し標高差が大きくなります」と枝中さん。
「滝の中間でいったんピッチを区切り、2ピッチに分けて登る方もいらっしゃいますね」と福沢さん。
そこから二人はヘルメットを被って氷瀑まで登り、左サイドの岩壁基部で登攀準備を始めた。氷瀑からのスノーシャワーや落石があったとしても、安全を確保できる位置だ。
ハーネスを装着し、クライミングの準備を続ける枝中さん
バックパックから各種クライミングギアを取り出し、ハーネスを装着。ロープを8ノットでハーネスに結び、氷にねじ込むアイススクリュー、クイックドロー、スリング、ビレイデバイスといったギアを次々にハーネスのギアラックにセットしていく。
アイスクリッパースロットにアイススクリューをクリップ
最初は枝中さんがリード、福沢さんがビレイヤーというのは、暗黙の了解のようだ。互いにロープとハーネスの結び目を確認しあってから一声かけ、枝中さんはアイスアックスを振り上げ、蒼々と光る氷壁に叩き込んだ。
大同心大滝を最初にリードするのは枝中さん
短めの1段目をクリアする
リードする枝中さんを見守る福沢さん。ビレイパーカは必需品だ
大同心大滝の核心部、ほぼ垂直の氷壁になる2段目中間部
核心部を登る枝中さんを上部から捉えたカット
稜線まで継続するとかなり充実します
——大同心大滝を選んだ理由を教えてください
枝中:大同心大滝というのは、赤岳鉱泉に向かう北沢の登山道からも見えていて、シンボリックな滝としても知られています。アイスクライミングのレベルとしては中級クラスですが、アイスクライミングを始めた人にとって、まずは最初の目標になる存在。この滝を登って次へステップアップしていく登竜門でもあると思っています。
八ヶ岳のアイスクライミングを語る枝中さん
——八ヶ岳でのアイスクライミングの魅力は?
枝中:まずは初心者から上級者向けまで多くのスポットがあること。また、アプローチが短く、情報も多い。なにより、本州でも屈指の気温の低さから、昨今の温暖化のシーズンであっても、八ヶ岳に行けば凍っているという安心感がある。「安定の八ヶ岳」ですね。
——ほかにどんなアイスクライミングスポットがありますか?
福沢:八ヶ岳ではまずは裏同心ルンゼが最初に凍ります。その隣のジョーゴ沢は、基本をマスターした人が最初に取り付く氷瀑です。ほかには三叉峰(さんじゃほう)ルンゼや、峰の松目沢、南沢大滝と小滝、摩利支天大滝など、横岳の西側だけでも多数のスポットがあります。
さりげなくフォローにまわる福沢さん(右)
——エントリークラスの人にはどの氷瀑がお勧めですか?
枝中:最初に行くのはジョーゴ沢ですね。登って行くと、短い滝が何本も現れる。比較的斜度の緩いところもあるので、レベルによって滝やラインを選べるという利点があります。
——今回の大同心大滝の難度はどのくらいですか?
枝中:八ヶ岳の氷瀑のなかでは比較的傾斜も強く、難しい部類に入ります。遠目に見る限りでは70度くらいかなと思いますが、滝の真下に立つと、もっと切り立って見えます。2段になっている上部は、パートによっては90度くらいあります。
福沢:表面につららが発達してくると、それが覆い被さってくるので、実際の斜度以上に感じられることも多いですね。
——今回のコンディションはどうでしたか?
枝中:滝に取り付いた時点でマイナス20℃近くまで下がっていたので、非常に氷が割れやすくて気を使いました。割れやすい氷はアイスアックスのピックが刺さりにくく、クランポンを蹴り込んでも足が決まらず、アイススクリューをセットしにくいのです。
クランポンを蹴り込んで、つま先付近に体重を預ける
——アイスクライミングの魅力ってなんですか?
福沢:真冬の氷瀑って、それだけでかなり美しいじゃないですか。そこを自由に登ることができるというのが、大きな魅力です。
枝中:自然が造った造形を登らせていただけることです。技術的な面ではかなり駆け引きのあるクライミングだと思うので、そこも楽しめる要素です。
——駆け引きとは?
枝中:アイスクライミングではリード中に落ちたときを想定して、アイススクリューを中間支点として打っていきます。氷壁の途中で体を保持しながら、片手でねじ込んでいくのですが、多く打てば時間もかかるし手足の筋肉への負担も大きい。それでも、間隔を空けすぎると、万が一、落ちたときの落下距離が大きくなり、ケガをするリスクが高まります。なので、どこでどう打つか、そういったことを常に考えながら登っています。
これがアイススクリュー。折りたたみ式のクランクを使って素早く氷にねじ込むことができる
——アイススクリューは信頼できるものですか?
福沢:意外と抜けません。また、アルミやステンレスといった素材の違いや、長さも異なるので、そこから何をどのくらい持つかという選択もおもしろいところです。
枝中:氷質によってはかなり信頼が置けます。強度規格もあってテストも重ねられていますしね。
——アイスクライミングを始めたい人はどうしたらいいですか?
枝中:リスクをはらんだスポーツなので、講習会に参加したり、山岳会に入ったり、あるいは山岳ガイドに依頼したりと、信頼できる方から基本を学ぶことが第一だと思います。
福沢:そのあたりを含めて、まずはカモシカスポーツ松本店にご来店いただき、店のスタッフにご相談いただければと思います。
険しい表情を見せている横岳西面
——お二人にとって、冬の八ヶ岳はどんな存在ですか?
枝中:冬の八ヶ岳というのは、私たちにとって冬山を楽しめる身近なエリアだと捉えています。アプローチが短く、比較的天候が良くて、冬でも営業している山小屋があり、美しい景色にあふれている。なので、お客さんに自信を持って提案できるフィールドとしても活用させてもらっています。ただ、寒いですよね。とにかく寒い。
福沢:そのおかけで、アイスクライミングには最高です。暖冬のシーズンでも、八ヶ岳に行けばなんとかなる、と言われています。それでもシーズンは短くなってきていますよね。今のアイスクライミングのシーズンは1月中旬から3月上旬くらいでしょうか。
枝中:以前は12月上旬から3月いっぱいまでアイスクライミングしていましたからね。
福沢:1つの氷瀑でアイスクライミングするだけに留まらず、そこから上部へ継続するとなかなか充実した登山になります。たとえば、大同心大滝を登って横岳の稜線まで登り、硫黄岳を回って降りてくるとか。
枝中:大同心大滝の上にはもうひとつ小さな滝があって、さらにルンゼを詰めていくと大同心稜。その上部には大同心と小同心という岩壁があり、そのどこかのクライミングルートに継続することもできます。
福沢:以前、がんばって赤岳まで継続して下山したことがありました。遠いなぁと思いましたが、達成感は大きかったですね。
フォロー(後続)は福沢さん。アイスクライミングでは2本のロープがお約束
——この先どんな登山やクライミングをしてきたいですか?
福沢:いつかは体が動かなくなると思うのですが、そこまではしっかり登り続けたいと思います。
枝中:クライミングや登山を続けるために一番大切なのは、ケガをしないで無事に帰ってくること。そのために大事なことは、いつも体をケアすること。日々続けることですかね。行きたいルートや目標とするルートもたくさんありますが、まずは体があってこそ。なので、そこに一番気をつけています。
カモシカスポーツ山の店・松本店のカウンターに立つお二人
店長と副店長という立場上、二人揃って休みを取るわけにもいかず、久しぶりにロープを結び合ったというお二人だが、迷いのないロープワークを見れば、互いに信頼し合っていることがわかるというもの。
カモシカスポーツ随一のクライマーという枝中さんは、副店長としての仕事のほかに、クライミングギアと登山靴のバイヤーと売り場責任者を兼ねている。「自分が信頼を置いているギアや登山靴をお客様に提案したい。そのために、自分が登り続けることは必要だと考えます」と枝中さん。命を委ねるクライミングギアは、経験豊富なクライマーが扱う。それは長年クライミングに力を入れてきたカモシカスポーツの真心でありリアルでもある。
店長の福沢さんは、10人の松本店スタッフを束ねるリーダーだが、どんなに年下のスタッフに対しても、呼び方は「さん」付けを崩さない。「なにも店長が偉いわけではなく、スタッフのみんなが仕事をしてくれることで店は成り立っているので、そこは自分なりの敬意です」と福沢さん。意外なことに、エントランスをはじめ店内に季節の生花を飾るのも、福沢さんの仕事だ。
初心者に優しい店を目指した創業者の思いは、個々のスタッフがしっかり受け継いでいる。彼らの弾ける笑顔を見ればそれは明かだ
登山やクライミングを愛して止まない人物が店長と副店長を務め、スタッフ全員がもれなく登山好きというカモシカスポーツ山の店・松本店には、上高地や乗鞍岳からの帰宅途中に立ち寄る人が少なくない。そんなときに福沢さんは決まって声を掛けるという。
「今日はどこに行ってこられたのですか? と。みなさん、いい顔をしてエントランスを入ってこられるんですよ。明らかに充実した山行を終えたままのテンションですから、声を掛けずにいられません。いい登山報告は自分も共感したいんですね。でも、あまりにコンディションが良い日の話を聞くと、正直、少々嫉妬したりします。ああ、今日の山に行きたかったなと。まあ強いて言えば、そこが松本店勤務のつらいところですかね(笑)」
上高地に向かう国道158号線からやや南下した場所にあるカモシカスポーツ山の店・松本店。広い敷地にゆったりと建つ特徴的な建物が目印
動画でもフィールドを紹介しています。自然の中で生まれた約50mの落差を誇る氷爆「大同心大滝」でのアイスクライミングの様子を是非ご視聴ください。
協力:カモシカスポーツ山の店・松本店
写真:後藤武久、井上卓郎
テキスト:寺倉 力
映像:井上卓郎(Happy Dayz Productions)
制作:牛田浩一(B.O.W)
企画:アークテリクス